パステル・ジョナサン

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11月23日

野鳥がたくさん集まる池に出かけたら、餌の時間はすごいことになっていた。
私もパンを持っていたのだけど、カモの行列がヨチヨチ歩きでついてくるし、カモメは頭上から狙っているし、餌をやるおじさんも鳥まみれになって大変そうだ。
周辺には鳥の羽根が散乱していて、白くてふわふわしたのを拾い集めたら枕ひとつくらい簡単に出来そうだ。
鳥インフルエンザに関する注意書きとして「念のため鳥や鳥のフンに触れたら手をよく洗って下さい」との貼り紙がいくつかされてあった。

池の近くにある昆虫館に行ったら、ヤママユガだったか何だったか名前は忘れたけれど、とにかく蛾の「飼育者募集」とあった。きれいな繭になった後みんなで糸を紡いでみましょう、という企画だ。
実際に館員の人が繭をお湯でゆでて、糸ぐるまのようなもので糸を紡いでいた。
目に見えないくらい細い。時々キラッと光るので糸だってわかる程度だ。
大きくなる幼虫なのでぜひ飼いてぇ〜と思ったけれど、自分で育てたものをお湯でゆでるのはちょっと。。でも繭ってとても綺麗なんだなあ。
ムシキングのおかげなのか、昆虫館も最近は人気のようだ。
今日も小さな男の子が「ヘラクレス〜!ヘラクレス〜!」と絶叫していた(笑

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11月22日

私のこの日記はすでに「日記」ではないな、と読み返して思う(笑)

私の日常なんてたいしたことはなく、朝メールチェックをして注文が入っていれば対応し、本日予定分の梱包と出荷をし、更新日には商品の撮影をしてアップして、夜になってまた注文があれば対応し、その合間にメール返信をして家事をして空の写真を撮って・・そんな感じだから、素のままの「日記」を書くと毎日同じになる。
だからなんとなく浮かんだことを書くことが多い。
私は自分の作るHPやブログなどを主人に全て知らせているのだけど、彼はたまにチラッと覗いては「なんでそんなに毎日書くことがあるねん…」と呆れている。
私が一日中家にこもって仕事しているのを知っているから驚くのも仕方ないけれど、私が怪しげなことや感情的なことを書き殴っていても、そうして「見て見ぬフリ」をしてくれるのは有り難い。
そしてこのつまらん日記を読んでくれてる人達もきっと、私のことを「大目に見てくれる」人達なのだろうと思うと、ほんとにもったいないくらい有り難いことだと思うのだ。

先日、ネット仲間のあつこさんがブログで「えこひいき」について書かれていた。
えこひいきしてくれる人がいるからこそ人は成長していけるのだ、みたいな。
(感動したのにウロ覚えですみません・・あつこさん。)
それを読ませてもらった時に、先日も書いた「松本 正「自分を信じて生きる-インディアンの方法-」の中の話を思い出した。よく考えるとあまり関係ないような気もするのだけれど、なぜ自分の中で関連したのかは分からない。

ラコタ族限定で使う言葉ではないと思うのだけど、「ホー」という言葉がある。
『「ホー」とは共感を表す言葉。ラコタの人達は分かち合いの輪の中で人が祈ったり話をする時、「なるほど」「そうそう」と共感すると「ホー」と合いの手を入れる。すると祈っている本人はそれだけで勇気づけられ、あたたかい空気の中で話すことができる。』

この「ホー」の共感にたぶん深い意味はない。
あなたの考えていることはまさに正しいわ!とか、その通りじゃん!とか、その意見は素晴らしいゼ!とか、そういうのじゃなくたぶんこの「ホー」はもっとシンプルなものだと思う。
お互いの意見が合致したから共感するのではなく、もっとハートの共感なのだと感じるのだ。
母親が子どもの話を聞く時に、話してる内容そのものにではなく、一生懸命話す子どもに対して「うん、うん、それで?」と相づちを打つ時のような感じなのだと思う。
この感じを「えこひいき」と一緒にするのもどうかと思うけれど、何を話していてもどんなことを考えていても、その内容にではなく、まず「この私、この自分」に共感してくれる人がいるということはどんなに素晴らしいことだろう。

・・・なんとなく思い出したので書いてみました。毎度オチがなくてすみません(笑

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11月21日

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実物は可愛いのに、どうも写真写りの悪いネネ。

イモムシのポパイは、どうやら一度脱皮したようで、その後はモリモリ食べて倍の大きさになっている。
それはいいけど、新鮮なエサの確保のために私はほうれん草を買い続けることに。。。
ウチには人間が2人しかいないので毎度余ってしまう。
ほうれん草の料理ってそんなに知らないし・・・。
いや、それもいんだけど、このままさなぎになったら越冬させなきゃならないのかな。
それが問題だ。さなぎを越冬させたことがない。

去年、カブトムシの幼虫を初めて飼ったのだけど、あのモコモコのイモムシがある日さなぎになり、そしてまたある朝突然にカブトムシの姿で現れた時には「うわー」って思ってしまった。
当たり前だけど子どもの時と全然姿が違うんだもん。わかっていても驚く。
蝶でも蛾でも蜂でもそうだけど、 これは一体どうなってんの? と思ってしまう。
いまだに不思議でたまらない。
気持ち悪い話で恐縮だけど、まだ子猫だったネネを拾った時にどうやらお腹に寄生虫がいたようで、ふとしっぽの付け根を見るとなにやら針のように細長いヒモ状の生物が。。。
「うわーこれが寄生虫ですかっ」とティッシュでつまんで観察してしまった。
(その後病院で駆虫薬をもらいました)
生きているものはみんな不思議だ。

蝶や蜘蛛や小さい虫を見ていると世界の全部が不思議に思えて妙な感覚になる。
毎日毎日、植物や動物の肉を食べ、鳥の産んだ卵を食べ、牛の出したお乳を飲み、虫の集めた蜜を食べて、そういうことで生かされている自分もドキドキするくらい不思議だ。
私が食べたものがやがて私の中に森を作り、海を作り、空が出来て、そこでたくさんの生き物が幸せに暮らせたらいいな、などと真剣に思えてしまうのだ。

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11月20日

ストレスもたまってることだし「今日はゆっくり寝る!」と昼まで眠ったら、首を思いっきり寝違えてしまった。痛い。なんだか損した気分…。

ブッ飛んだメールもあれば、その逆もあるわけで。

今日はネット上で行方知れずになっていた人からメールが届いた。なんだかいろいろあったようでブログは突然閉鎖したようだし、メールを送っても音沙汰なしだったので嬉しかった。

昨日書いたパニック障害という病気についてはまだまだ書いておきたいことがたくさんある。

病気になっていろんなものが見えた。
ある人は「にわか心理カウンセラー」となり私の性格をああだこうだと分析して陶酔し、ある人は音楽を録音してくれたMDをたくさん送ってくれ、ある人は心療内科に通っていると言うだけで眉をひそめ、ある人は何も言わず黙って見守ってくれた。
自分にとって都合の良い風がいつも吹くわけではない。
人はいつでも優しく、信じていた人が永遠に裏切らないとは限らない。これが現実だ。

精神ナントカとか神経ナントカとか、こういった病気になると本当にキツイ。
盲腸や胃潰瘍になるのとは違って「病気になるのは本人の性格のせい」という間違った解釈が横行しているのだ。
ただでさえ病気でままならない状態の時に、あなたの性格はこうだからああだから、 そう言えば以前からこういうクセがあったわよね、小さい頃からこうだった・・等々のエピソードを聞かされるのはまさに地獄に相当する。

これらの病気について、どうしてみんな「原因」を語りたがるのか分からない。
知りたがるのじゃない。
どういうわけか<語り>たがるのだ。

病気を患っている本人は原因が知りたいわけじゃない、どうやったら治るか知りたいだけなんだ。

そんな中で、それでも光はあった。
何も分析せず、何も言わず、特別な何もしないで、ただ黙って聞いてくれるだけの人達がいる。
ひとりはもちろん医者だ。とにかく淡々と話をして、こちらの話も淡々と聞いてくれる。さすがプロ。
そしてもうひとり、私の場合は私の主人だった。
彼はなんと私の通っていた病院すら知らないのであった。。もしかしたら病名もちゃんと知らなかったかも。
私がスーパーに入ることも出来ない最悪だった時期に(この狭い空間に入って、無事にレジを終えられるかどうか考えるだけで息苦しかったのでございます…とほほ)主人がタイミング悪く流感にかかってしまったことがあった。
それでも仕事はいかなきゃならなくて、連日高熱のまま夜遅くまで働き、それでも毎晩、仕事帰りにお弁当屋さんで夕飯を買って来てくれたことがある。
私はその主人に向かって毎夜、泣き言をこぼしていたのだった。

後になって考えると「オレだって働いてるねんから!」と逆ギレされてもいいような場面だった。
むしろそのほうが普通だった。
何しろ高熱で倒れそうな体で納期に追われて働いているのだ。出勤するだけでも大変だったろうと今でも思う。
私が逆の立場だったら絶対無理だ。私の方が愚痴るか、キレるか、何しろ参ってしまう。
その時もとにかく彼は黙っていたのだった。
私が泣いても特別慰めもせず、気分転換に特別にどこかに連れて行こうともしないで、それまでと同じように自分の好きなテレビを見て、毎朝同じ時間に出勤し、休みの日には単車の整備をし、まったく何も変わらなかった。
一見まるで冷たい人のようなエピソードに見えるかも知れないけれど、その淡々としたリズム、変わらない日常が私を救ってくれたのだ。

なんだか勢いで書いたのでうまくまとまらないけれど、病気に興味のない人にはなんてことない話しだよな…。
ただいつか同じ病気の誰かがこの文章を見つけてくれることがあったなら、そしてそれが病気のご本人でなく周囲の人であったなら、どうか病人に対してにわか心理分析学者にならないで欲しいと願うとともに(人の心を分析するのは確かにどこか気持ちがいいものですが)特別優しくなる必要もないものですよ、と伝えられたらなあと思うのだ。

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11月19日

先日お客さんからかなりブッ飛んだメールが届いて(クレームとかじゃなくて相談ごとみたいなメール)その返事に振り回され消耗して回復できないままでいたら、昨日今日とイヤな夢を見てしまった。

うたた寝していたら頭の後ろを10本の指で押さえつけれらて金縛りにあったので、慌てて起きあがったら寝ていた2階ではなく1階にいたのだ・・。
こういうの疲れるですよ・・。
けっこう来てるなこりゃー。
別に幽霊がいたわけでなく、押さえつけるものの正体は自分の中のストレスなのだと思う。

私はとにかく忘れっぽいので、ストレスをストレスと自覚する前にどこかへ消えてしまう。
大人になった後も長い間、ストレスを自覚したりその言葉を使ったことがなくて、初めてその感覚を口にした29歳のある日のことを今もはっきり覚えているくらいだ。
(結婚という一大事が終わってやっと落ち着いた時に東急ハンズ内の喫茶店で姉とお茶をしていた時だった。)
イヤなことを(反対に良いことも)すぐに忘れてしまう性質をある意味お得だとずっと思っていたのだけど、 数年前に突然パニック障害という病気になった時、医者から「ストレスを自覚出来ない人はかえって危険」と聞かされて、以来、出来るだけ自分のストレスには注意を払うようになった。医者からもそう指導を受けた。

後から聞いた話では、人それぞれストレスにはサインがあるようで、筋肉に出る人(肩こりなど)や胃に来る人、お腹に来る人(神経性の下痢など)、睡眠に出る人(寝付けないなど)さまざまなのだそうだ。
私はめちゃくちゃな生活をしていても、肩こりもなく胃が痛むこともなく、お通じも生理もハンコで押したように順調で、食欲も増えたり減ったりすることなく一定で、自分の結婚式の前日も熟睡するような体質だったので、それがかえって自覚を遅らせるのだそうだ。こういう人間はある日突然バッタリ倒れてしまうらしい。

アホな私がストレスを認識できない間、神経や心臓はその代わりに黙って耐えてくれてたんだなあ。
私の体は私のわがままによくついてきてくれた。
睡眠が少しでも平気で胃腸も丈夫で、いっぱい動くこの体でなかったら出来なかったことが今までにたくさんある。
でもどこも痛くないから健康とは言えないんだよな。
痛みとして認識出来たなら、いたわることも出来たのかも知れない。
病気になった当時、最近動悸が続くなあと思っていて(私は元々心臓に雑音と不整脈があるのです)それが私の知らない間に積もったストレスのせいだったと分かったときには薬なしでは外出も出来ない体になっていた。
まさかって感じだった。
青天の霹靂という言葉があるけれど、もし自分の人生で使える場面があるとしたらこの時だ。
パニック障害と診断を受けてさらにパニくった(笑
それでも幸いなことに症状は軽く1年半くらいの治療ですんだ。
でも注意していれば罹らないですんだ病気だったかもと今でも思ってしまうのだ。

20代の頃に友人が「ストレスがたまってるからカラオケ行こう」などと話すのを聞いて、ストレスがたまるってどんな感触なのだろうと真剣に思っていたくらいなのだから、いまだに自分のストレスって上手くつかめない。
恥ずかしい話だけれど、働いていてよく言う「人間関係のストレス」というのもいまひとつピンとこなかったのだ。
複雑な職場だったからいろんな摩擦があったはずなのに、なぜ私は自覚できないでいたのだろう。
仕事はもちろん、試験とか会議とかセミナーなんかが好きで、それもストレスとして自覚出来なかったのだ。
(本人が意識の上で自覚できなくてもこれらは体にとっては立派なストレスの原因になるのだそうだ)

再発しやすい病気なので、今でも時々こうやってストレスについて考えることがある。と言うかチェックしないと分からない。どこまでアホなんやろ私。
だからなんとなく「気詰まり」するような感じになったら、あるいはさっき書いたような気味の悪い夢を見たら、ストレスがたまっている目安にしている。

結論。 なので、きっとストレスがたまっているんだろう。

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