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パステル・ジョナサン

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3月22日

最近「へぇー」と思った北山耕平さんのブログ記事。

「韓国でも中国でも、ものを人格化することはないらしい 」(2007/03/02)

そうなんだ〜ってちょっと意外だった。(その女性の言葉が本当であるならだけど)これを読んで思い出したのは、昔何かのテレビで見たと思うんだけど、日本人とアメリカ人の研究者が合同で何かの研究を始めた時、実験用のサルに日本人だけが名前をつけたという話。
オリに入ったサルはアメリカ人研究者にとっては単なるサルでしかなく、しかし日本のおじさま達は(若手もいたかも知れないけど)、一匹ずつに名前をつけて可愛がったのだそうだ。
私はこの話を聞いた時、日本人っていいな〜と思った。

以前から書いているけど、私が思うに日本人は水気が多いというか、水の民族というのか、そのせいで波動の伝達が良く、人の気持がよく分かるというか優しいというか・・(なんて書いて良いのか結局わからない・笑)その流動さゆえに馴染みやすいけれど型にはまりやすく、流行はあっという間に広がり、単体では存在しにくく、情的で、でも沸騰してみたり氷になってみたりと、まあ忙しい民族のような気がしている。
水の性質が良く働く時には大らかで優しく親切で、悪く働く時には恨み辛み妬みが深くドロドロになるような、そんな感じ。
何かの怪しい本で、日本人はテレパシーの能力を5人に1人の割合で持っている、と他の民族よりダントツに多いのだと書かれていたこともある。それも私は水の体質のせいなんじゃないかと思うんだけど・・。

お正月は神社に初詣に行き、結婚はキリスト教式で挙げ、葬式はお寺で、なんっつーことに抵抗がないのも、不信心なのではなくて、信仰そのものに馴染みやすい(お陰様の言葉にあるように、自分が誰か(何か)によって生かされているという感覚があるので、手を合わせることそのものが大事というか、どんな対象でも対応出来るというか…。潜在的に「他力」を知っているのでつまりは他力本願になりやすい)からではないかとも感じている。
フランス人だったかは虫の音が雑音に聞こえるらしいけど(これも未確認。違うなら大変失礼な話だけど)、日本人がその根底に持っている自然への感受性って、私は世界に誇れるほど素晴らしいんじゃないかとかなり思っている。

巨木・巨石信仰にいまだに惹かれる自分はたしかに未開人なのかも知れないけれど、歩きながら石や木や虫や風に「こんちは〜」みたいなことをいちいち言うのが当たり前というか、こんな記事でも読まなければ忘れるほど普通になっているので(声に出すと「病院に行け」と言われるはずだから出さない・笑)、これが日本人が長い間に培ってきた感性で、多少の差はあれ日本人なら誰でも、生まれた時にもれなくついてくる特典であるなら、この国に生まれたのはほんとうに嬉しいなあと思う。良かったなあ。

北山さんの文中に「石や木や草や空を行く雲までが生きている」とあるけれど、これを疑う人がいるのだろうか。
彼らがもし生きていないのであるなら私たちも生きていない。
私には自分の心しか分からないけれど、私ひとりに「心」があるということは、地球上のすべてのものに「心」があるってことだと思う。(感情のことではなくて)
私たちは地球の長い歴史の結果として存在しているのだと思うんだけど(過程とも言うと思うけど)、ならばその結果としての自分が持っているものは源である地球から分けてもらったはずで、だからデスクの横に置いてある観葉植物だって同じように分けてもらった兄弟だ。
同じように分けてもらった兄弟なのに、自分だけは心があって、彼には心がないと言うのはおかしい。
神秘的なことでもなんでもなく、地球上すべてのものに心があるというのは「1+1=2」ぐらい当たり前のことのような気がするよ…。

・・まだ続きを書きたいけど、ゴハンの時間だー。

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3月19日

キターーー!
私史上初になるWinマシン。
友人Fちゃんが愛機をプレゼントしてくれた。ありがとう!! ホンマもったいないくらいです。。
彼はWinもMacも、パソコン全般にめっちゃ詳しい。
Mac改造ネタをネットでやって、アップルからじきじきに注意を受けた伝説の男だ (書いていいのだろうか…)
そんな人のマシンを受け継ぐのがこのボンクラな私・・いいのか私。
モニタとキーボードとマウス揃えなきゃ〜って、のんびり考えてる。
それより置き場所だ。
私の狭い仕事部屋はすでにいっぱい。なんとか片づけて場所を確保せねば。

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3月17日

あのあと、生き物を水に放したり某タレント(不明)が夢の中に出てくることはなかった。 残念。

古いネット友からメールが来て、その中に、私の日記は「相変わらず人生突撃レポートみたいで笑える」とあった。
そう言われれば、自分でもそんな気がするよ。
以前やっていたサイトは少し変わっていて、日々の仕事量を具体的に数字を出してデータ化したり、それこそ毎日リアルな突撃レポートだった。

私のお気に入りだったとある人気サイトが去年の年末に閉じた。
日常を素のままに正直に書いていて、私は長年ファンだったのでいまだに寂しい気持ちが抜けないでいる。
離婚後に女手一つで育てている息子さんとの生活のことや、貧乏のこと、たまに子どもと大喧嘩して食事を手抜きしてしまうこととか、内容はそういう等身大の話なんだけど、「親として子どもの食事はどんなことがあっても作るべき」みたいな正論をぶちかます人(というか荒し)の攻撃をさんざん受けて、見ている私の方もやりきれないほどだったからご本人はさぞ辛かっただろうなあと思う。
もうこんな生活はイヤだって弱音吐いて子どもにあたってしまうことってあると思う。(正しい正しくないは別として現実の話として)
少なくとも自分の母はそうだったので私はさんざん八つ当たりされながら育った。
「素敵に頑張るお母さん」という理想像を振りかざして他人に斬り付けるのはどういうわけなのか、私はその掲示板の荒れていくさまを見ながら、本当に心がすさんでいるのはどっちなんだろう・・と思った。
ネットの中で自分の現実感をそのまま書くってことは難しいな。

私は今はのんびり日記つけてるつもりだけど、その瞬間に思ったことをそのまんま書いてるので、もうちょっとマシな文章(読む人にとって心地よい言葉を選ぶとか!)に作文すればいいのだとは分かっていながら、どうしてもおりゃ〜って勢いで書いてしまう。
でも笑ってくれる友達がいてくれるのは有り難い。
私はたくさんではないけれど、どこか不思議と恵まれるし、ほんとうに幸せだと思う。

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3月15日

「このカエル、地面の中でひからびたみたい」と誰かからカエルを5匹もらう夢を見た。

目が覚めて、変わった夢やなーとしみじみ思った。
オモチャみたいな小さなカエル達は重なって白い紙に包まれていて、私がそばの池にポイと放してやると生き返って泳いでいった。
どうでもいいような光景だけどなんだか面白い。
今日は今日で、喫茶店のイスに赤い金魚が落ちていたのですくってそばの丸い水槽に放す夢を見た。
どうやら私は水に何か放したいらしい。
水に関連する夢をよく見るけど、生き物を放す夢はめったに見ないうえに2夜連続だったので、今夜も何かを放すんじゃないかとちょっと楽しみだ。

2夜連続と言えば、その夢と同時に、テレビで見る有名人(ジャニーズ系の人のはずだけど名前が思い出せない)が出てきたな。
珍しいので我ながらびっくりした。
私は朝と夜にニュースを30分、それからアニメと、NHKかスカパーのネイチャーもののドキュメント、たまに韓国ドラマファンの主人の見ているものをチラ見するくらいで、ひどく偏ったテレビ生活を送っている。
いわゆる民放というの?普通の番組を見ないから、流行とかCMとかタレントさんの名前に恥ずかしいくらい疎く、なので、なんでいきなりこんな人が出てきたんかな〜と思ってしまった。
昨日はその人とエレベーターに乗り合わせたのだった。
私はエレベーターの夢もよく見る。昨日は2階で降りた。
今日は・・どうしたんだっけ、なんだか喋っていてものすごく楽しかったんだけど、覚えてないなあ。
あの人なんていう人だったかなー、テレビっ子の主人に聞いてみよう。

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3月12日

やっと税務署に行って来た。ホッ。

忙しいから疲れているのは分かるけど、職員さんの態度のガサツさにムッときた。
順番を飛ばしてしまったおじいちゃんに大声出さなくても良いんじゃないかと思う。
毎年こんな感じなので、気分良く確定申告出来たことがない・・。
もっと明るく爽やかに対応できないのかな〜? M区の税務署。
でも出かける前に友人から電話があって、おめでたい話を聞いたので気分はスカッ晴れだ。

癒しフェアはかなり面白かった。若い子が多かったのは意外。
胡散臭いものや怪しいもの、伝統のあるものなんかがごっちゃになってる広い会場で、綺麗な女の子達が顔を輝かせながら前世占いのブースに並んだり、オーラ写真を見せあって笑っていたりするのは幸せな光景に見えてなんだかとても良かった。
面白そうだからやってみようとか、ちょっと占ってみようとか、そういう気軽さはこの世界に大切なのだと思う。
人生を変えようと意気込んだり、これが私の使命だとかって思い込みすぎたり、自分の未来を何かにすがってみたり、切羽詰まって精神世界にハマるのはあまり良くないと私は思う。
部屋に花を飾ったり新しい口紅を買うように、ささやかだけど「自分が楽しいと思える新しい小さな発見」を繋げていくことが大事なような気がする。
たくさんの人が気軽にあれこれ楽しんでるのを見ていたら、「癒し」という言葉の意味はいまだに良くわからないけれど、とりあえず「不思議だけどちょっと楽しいこと」と理解しておこうと思った。

私はいつもお客さんに「楽しんでくださいね」とか「一緒に石を楽しんでいきましょうね」とか書いてしまう。
自分が低俗で刹那的な人間なだけかも知れないけど、「それにどんな意味(結果)があるか」より、まずは楽しいと思うことが私には大事なのだった。わ〜綺麗〜って感動することとか、そういうすごく単純なこと。
どんな道であっても、楽しいと思えるうちは人生絶対に負けない、そう思う。
楽しいと思えるうちは道はどんどん開けてくる。(はずだ)
私の場合、意味や意義を求められたり、何の為にやっているのか?などと問われたり、あるいは自分で考え始めるととたんにパワーが低下してしまう。心が萎えるというか、しぼんでしまう。
分かっていても時々それにつまずいてしまう。

花の後に実がなるように意味なんてあとからついてくるような気がする。
世の中には自分のやっていることの意味や意義を考えずにはいられないという人もいると思うけど、私にはちょっと出来そうもない。
例え方がかなりマズイけど、自分がやろうとしている(やっている)ことの意味を定めようとすると、なんだか自分が安心したいがために神様を知らず知らずのうちに脅迫しているような、行いに対しての何らかの約束を暗に迫るような気がしてしまうのだ。(仕事なんかは別だ)
それでは楽しいという感覚からずいぶん離れてしまう。

4年前に撮ったオーラ写真と同じ機械で撮った今回の写真。
理性の緑色と楽天的な黄色が混ざった混合色は、良いバランスなんだそうだ。
4年前はいろんなことに迷っていた。
借金を持つ家庭でありながら、さらに借金してお店をやるという無謀なことを始めたばかりの時期だ。
多色でモヤモヤとした良くないオーラの例としてみんなの前で紹介されて悔しい思いをしたけれど、今回は明るい黄緑色とゴールド(そんな色あるんかいな)をとても良いですね〜とホメてもらった。
なんとなく「4年間頑張りました!」って思えて嬉しい。なので自慢してみた(笑
こういうの一年ごとに撮ったら定期検診みたいで楽しいかも。

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