ごあいさつ

ジャスパー

ジャスパー

日本パステルホープアート協会公認 正インストラクター。
協会認定指定校「ジョナサン」を運営しています。
(活動はゆる〜くやっています)
ほとんどが独り言のブログです。

別館で猫ブログやってます!

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4月21日

2007.04.21 13:46|日常のこと
胸が痛くなるほど白い花が好きだ。
「緑と白」という組み合わせが好きなのかもしれない。

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そう言えば先週は動物園に行ったのだった。
近場の動物園によく行くので、チンパンジーの子ども大きくなったなあとか、あの子はいつも同じ場所にいるなあとか、妙に愛着がわく。
近い将来大きな地震が来て市内は水に沈むだろうから、そんな時この子達はちゃんと救助されるのかな、と余計な心配をしてしまったり。
いや、堤防の裏に住んでいる自分の命もかなり危ないんだけど。

ウンコまみれになってもいいから、ひつじ小屋の掃除とかでいいから、動物のいるそばで働いてみたいなあ。
きっと一日でへたばってもう二度とやりたくないとか言うんだろうけど…。
でも、いろんな動物がいっぱい側にいる!と思うだけでワクワクする。

☆☆☆

「星の王子さま」の中で一番好きなのが「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだよ」という言葉だ。
(高校生の時のだから古い翻訳かも知れないけど)

ずっと<井戸の秘密>を想っている。

4月20日

2007.04.20 13:49|日常のこと
午後買い物に出たら、空中の何かが落ち着いたような整ったような、とにかくそんな感じがした。
やっと4月病から脱出。
「空中の何かが」というのは、気持ち的に「粒子が」と書きたいところだけど、ヘンな人になりそうなので書かない。(書いてます)
こんな感じでいつも4月病から「ポン!」といきなり抜けるのだった。
今年は短かったほうかも。

今夜のヤフーのニュースで「気象病」のことが書かれていて、その言葉を初めて知る。
こういう事と少し似たような感じなのかも知れない。
雨や台風が来る前とかの気圧の変化にもかなり弱い。月の満ち欠けの影響も感じる。
これでトクすることって何もないし(今夜は雨が降るな…とか分かるけど、そんなの天気予報見たほうが早いし)、面倒な体やなあ。
もう諦めているけれど。

4月19日

2007.04.19 13:51|日常のこと
頭痛はおさまったけど、あまり食べていないのでハラに力が入らない。
寝過ぎなのか鎮痛剤のせいなのかまだボーッとする。
いつもは自分でヤマトに出荷に行くのに、今日は珍しく集荷をお願いした。
夜。今回もアニメ版NARUTOの録画を忘れる…。いい加減ちゃんと設定しよう。

このHPを読んでいる主人が「最近4月病なんやろ?」とお見舞いにピンクパンサーのぬいぐるみをくれた。喜。

かわいい〜ん。
昔からなぜかピンクパンサーが好きだ。このトボケた顔が好き。

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ピンクと言えば、オーラソーマのボトルで濃いピンクのを今回選んだ。
薄いピンク色はそうでもないのにワインのような赤に近いピンクカラーが苦手で、ルビーとかピンクトルマリンもずっと縁がなかったのだけど、最近ようやくピンクトルマンと縁が出来て、それを身に着けたせいで何か変わったのかも知れない。
ボトルを使う前はパッと見「けっこうキツそうやなあ」と思っていたのに、実際使ってみたら光線が浸透していくのを感じるくらい優しくて、ちょっと意外で驚いた。気持ちよくて思わずいっぱい塗りたくなってしまったけど、もったいないからちょっと我慢。
浸透して、でも拡散するのも早いというかすうっと散らばっていく感じ。軽くて動きが早い。もっと重いカラーなのかと思っていた。
それから思ってもなかった「保護作用」を感じる。
そして普段まったく考えもしない、私にとっては馴染みの全然ない「女神」という言葉が突然浮かぶ。これも意外だ。
とにかく使い心地がとても良いので、すごく気に入ってしまった。

このボトルはどの部位でも使用出来るらしい。とりあえずはピンクが対応するハートセンターから太陽神経叢につけてみたあと、本当なら青系になるはずの第5センターまで塗りたくなって塗ってみた。
そこで流れが遅くなったように感じて、喉のセンターにあるブロックに気づいた。

喉は実際に喋ることだけじゃなく自己表現や生き方に関わる大切なエネルギーセンターで、私のように子どもの頃押さえつけられて育った人なんかは特にきちんと発達していないことが多い(気がする)。
と言うか日本人はここの流れが弱い人が多いような気がするな・・。
自己主張はほどほどに、周りに気を使ってモノを言え、他の人に足並み揃えろ、みたいな躾の仕方があるせいかなのかな。
だから声も小さくて呼吸も細いような気がするんだけど、日本人。。

逆に喋りすぎたり、自分の主張でいっぱいいっぱいになってしまうような時は、ハートの中に過去の古い傷が癒えないままブロックになっていることもある(気がする)。
感情エネルギーの流れが悪くなることで氾濫し、喋りすぎたり書きすぎたりしているのかも知れない。私が良い例なんじゃないか?(笑
人に喋ってスッキリするということがあるけれど、喋ることそのものよりも、誰かに向かってハートを開くことでブロックが外れるからなのだと思う。全部かどうかは分からないけれどハートの呼吸困難はそれで少し解消されるみたいだ。
たぶんひとりで喋ってもダメだと思う(笑
でもすぐに人の話を否定するような人に話すと、よけいに喉がつまってしまってマズイけど。。。

ハートがしぼんでいるとつい頭で考えて処理しようとしてしまう。
「ハートで感じる」ことがしづらいと、やっぱりどうしても頭の仕事が増える。
でも胸のセンターのところでエネルギーが渋滞を起こしているので喉で停滞&逆流する。
それでは必要以上の自己主張になり、そのはけ口を見いだせない時、理由もなくいつもなんとなく不機嫌だったり人生そのものが面白く感じられなくなってしまう。
こんなことを書いてはダメなのかも知れないけど、最近の子どもたちのイジメとか、感情が暴発して起きるような事件とか、そういうのはハートが塞がっているのじゃないかとどこかで思っている。
ハートがひどく閉じてしまうと、その下の太陽神経叢に影響し、怒りのパワーが暴発するか、その上の喉のセンターに影響が出ると歪んだ自己表現に走ってしまうのじゃないだろうか。

ネットでもいいから、本音(本音ってところがかなり重要。ハートを開くってことだから。頭の中に本音はあまりない。)を書いたりすることは、手軽で効果的なヒーリングでもあるんじゃないだろうかと思っている。

人の体というのはそうやって考えていくと本当に不思議だと思う。
(バーッと書いたので間違っている箇所とか書き方悪いところがあるかも)

仕事のほうはイメージ写真を撮っただけで、肝心の商品写真を今週は撮れなかった。
と言うより撮らなかった。気がのらなかった。
なので今週は商品を出せなかった。
「気」が向くとか乗らないとか、直感優位で生きているのを時々猛烈に恥ずかしく思う時がある。

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4月17日

2007.04.17 14:20|日常のこと
頭痛持ちと言えるほど深刻じゃないけれど、たまに爆発的な偏頭痛になる。
少し動くだけで、ザクザク、ガンガンと痛むやつ。
こうなると気持ち悪くて吐き気にまで達し、おかげで今日は夕方までひたすらじっとしていた。歩くのもソ〜ッと歩く感じ。
一年に一度あるかないかの重症だけど、なんでこんなになるんだろう? 昨日特別変わったこともしていないし、普段と同じものを食べているんだけど。毎回不思議に思う。

****ここから長文・毒舌(?)なのでご注意ください*****

よし、今日はこれを書こう! と思いながら日記を書くことがあまりない。
なんとなく時間がある時に、DreamweaverというHP用ソフトを立ち上げて、ここのHPのフォルダを開き、さらに日記のフォルダを開いて、今日の分を書き込むためのテーブルを作り、枠に色をつけて、それからその瞬間に思い浮かんだことを書く。
今日一日楽しい気分で過ごしていても、その時点で切ない気分なら切ないものを書くだろうし、その逆もある。
感情って、空の雲のようにどんどん形を変えていくものだと思うけど、一瞬だけカメラに収めたらこの形でした、みたいなことを書いてる。
だからネットで書いているほとんどのことは、本当は「私の今日」ではないし、思考した結果でもない。

そんなたまたまの瞬間芸なのに、それがどんどん溜まることがいやで、以前は「書き捨て日記」というのをやっていた。
今日書いた日記の上に、次の日上書きして更新するというやつ。過去ログを残さない書き方。
なんちゅーことするねんと友達に言われたけれど、昨日の新聞を読む人がいないように、私にとって昨日書いたものはあまり必要のないものだし、作品でもないし、自分の書くものを立派なものに思っていないので、どんどん書き捨てていた。

ネットのように人の眼に触れるところで、自分のテキトーに書いたものがたまっていくというのは良いことだろうか? とふと思う。
うん、確かに良いこともある。私はそれを感じたことも、手にとってその感触の良さを味わったこともある。
でも自分にとってそれはさほど大した問題じゃないなと思ったりする。
文章として立たせようとすると、読む人が分かるように説明書かなきゃダメなんだけど、最近になってそういうようなことが気になって仕方ない。

最近、心理的にそこに至った事情がちょっとある。
ネットの中のことだけど、実はここ1ヶ月くらいの間に一つの人間関係が破綻した。
どうしてその人は自分と私との違いというか、「差」を知ろうとしてくれなかったのか、 いや、少し想像してくれるだけでよかったのに。
そのことをちょっと書こうと思う。長くなるけれど。

たとえば私はミクシィが苦手だとハッキリ書いている。
なのにある彼女と、ミクシィをやればこんな良いことがあるとか、ミクシィには○○さんも○○さんもいるのよとか、自分で書いたミクシィの記事を送ってくるとか、そんなやりとりが去年の夏からずっと続いていた。
彼女はネットに入る時間が多いこととマメな人だったせいもあって、一年間に来たメールを数えてみたらなんと109通もあり(3日に1回の割合…)、返事を出さないでいるとまた次が来てしまうという状態だった。
書いてあることはほとんどがネットの話。ネット運営のこととかネットの意義とかネットで書くとはどういうことかとか。
昨年の夏から続いていたミクシィネタに、今年2月の終わり、私はついに切れてしまった。
「ミクシィでAさんを見つけましたよ。日記は書いていないけどブログをリンクしているみたい。そのブログのアドレスを教えます」

そのAさんと私は、さほど交流はないけれど、私はAさんの書く文章が大好きでファンなのだった。
そのことを彼女も知っている。
彼女はAさんとは面識もないのにわざわざ検索をかけてミクシィで見つけだし、私に報告して来たのだった。
親切なのだろうと思うけど、私はそれが誘い水のように感じて非常にカンに触った。。
頼むからこれ以上ミクシィネタはやめてくれ、私を説得しないでくれ、疲れ切ってはそう思った。

その数日前、実はそのAさんからメールをもらっていた。私の誕生日のお祝いのメールだった。
彼はその中で(Aさんは男性)そのブログのことも、自分がミクシィをやっていることにも触れていない。
なのによそから聞いてしまったら困るじゃないか。私は性格的にそういうことがとても嫌いなのだった。
あの人からこの人の話を聞いて、でもあの人には私は知らないことになっていて、そのことをこの人は知っていて・・・とか、そういうややこしいことがとても嫌いだ。
本人が私に言わないことは知らないでいいと思う。

彼女は、女性特有と言えばいいのか、私と彼女の間で起きること以外の、関係のない人の話を持ち込みすぎる。
ネットとは言っても長い付き合いだし友達なんだから、彼女の愚痴ならナンボでも喜んで聞けるし、身の回りで起こることなら知りたい。
でも彼女はどんどん、ネットに書くことが生きることかのように肥大していく。
自分の知っている誰かと誰かを結びつけるために奔走し、それが人と人との繋がりと信じ、それゆえに話し過ぎ、アクセス解析を毎日チェックして誰が来ているか調べ、ひとりでたくさんのブログを持ち、コメントがあるかないかで悩み迷って・・・。
私にとって彼女は憧れの人で、ネットの中の静かな森のように拠り所にしていた人だったのだけど、なぜかミクシィに入ってから関係性が変わっていった。
何がどう変わったのかわからない。
どちらが正しいとか悪いとかでもないような気もする。
彼女は「ジャスパーさんにも知ってほしいからミクシィのことを報告していた」と言う。
確かにそれはミクシィ嫌いの私に「ミクシィって楽しいよ」と伝えようとした彼女の優しさであることは十分分かっている。
私がそれを消化出来なかったというのが事実だ。
私がミクシィを嫌いなことは何度も伝えているのだから、そのことを少し気にとめてくれれば、メールの間隔があんなに頻繁でなければ、関係の再構築というのはあったのだと思う。

ある時「自分のアクセス解析に頻繁にログが残っているけれどまだ誰か判明しない人がいる(つまり一度もコメントを残していないので誰か分からない)、そういう人のために日記を書けなくなった。だからこれからはミクシィで日記を書くの」と彼女が言ったことがある。
その時私は偉そうにこう言った。
「コメント残さないと読んじゃダメなんですか。黙って何も言わずに読んでくれている人のほうが大切なんじゃないですか」
コメントに執着する彼女に幻滅し、それくらいから何かが変わっていったのだと思う。

問題はそれ以降、ネットにこうして日記を書くことが時々面倒になってきているということなのだった。
私にとって書くというのは簡単なことで、馴染んだありふれたことなんだけど、時々彼女のよく言っていた「なんのために書くのか」「ネットで書くこととはどういうことか」「誰かのために書かなければ、書き続けなければ」みたいな言葉がよみがえってきて仕方ない。
ネットで書くことは別にたいそうなことじゃなく、そこに「そういう道具」があるから私は書いてるだけなんだけど、ネットがなけりゃ紙に書くし、ネットがない時代はそうしてきたし、ネットで書くことは別に特別なことでもなんでもないことだと私自身は思う。
書きたいから書く、それが意味のすべてだ。
「ミクシィでしか出会えない人がいるの」と彼女は言っていたが、無理して出会う必要を私は感じない、だからやらない、それだけだ。

もう彼女のHP関係は一切見ていないし、メールも拒否設定にしている。
嫌いになったわけじゃなく、「ネットに関わる話、ネットの中の人の話」のやりとりに疲れてしまってもうどうしようもない。
それまでは、書くこと(というかネットに対する思い入れの違い)については、私は彼女と自分の差を認識して触れないようにしていたのだけど、もうそこのラインを超えてどんどん話が進んでしまったので、私自身が飲み込まれてしまっている状態だ。

普通に歩いている時に、「歩くとはどういうことか?何のために歩くのか? それは、右足を出して重心をうつして、それから左足をつま先から出して・・・」みたいなことを言われると歩くのがぎこちなくなるみたいに、彼女の言葉はこれまでも何度も私を混乱させた。
(これは私の問題)

この話は書かないでいたのだけど、思い切って書いてみた。
なぜかと言うと混乱から抜け出せないでいるから(疲)
2月の終わりから3月にかけては、完全に凹んでいた。
いっそネットから撤退したらスッキリするだろうと思ったくらいだ。
つうか、今もどこか思っている。
普通に書こうとしていても、誰かのために(感動的なこととか!)書かなきゃいけないような気になってしまう(笑
ああああもー、こういうのめんどくせぇぇー。
洗いざらい書いたら楽になるかと思いつつ書いてみたら、やっぱり楽になったのでとりあえずアップしてみる。

この先はまともな日記ではなく、前にやっていたような、瞬間芸的な日記に変更するかも。

私と古くから付き合いのある人はここに書いた「彼女」が誰か判別がつく人もあるかも知れませんが、これは絶対的に私の性格上の問題なので、お許し下さい。
なぜなら彼女に誘われて楽しくミクシィライフを送っている人はたくさんいるだろうし、私がそれを頑に拒んだことで起きた出来事なので・・。

これは以前やっていたサイトで何度も書いたことだけれど、今から遡ること20年ほど前、文学誌で童話を書いていた時期に一切書けなくなったことがある。
お偉い大学の先生から「何のために童話書いてるのか」と質問されてからだ。
他の人が口々に「21世紀を担う子どもたちに夢を与えるためです」「子ども達に勇気と感動を与えるためです」と発言していく中、私はフリーズ状態になった。
何かのために・・・ということが必要なの? 理由がなきゃ書いちゃいけないの? 書くってそんな立派なことなの?

以来「〜のために書いている」という考え方に猛烈な反発心が生まれた。
自分が好きでやっているのだからすべてを自分の責任にしろよ、誰かのためにって誰かのせいにするなよ、と思ってしまう。
書きたいから書いてるんだろ?
文学とか文章を書くってことは特別で高尚なものだとでも言いたいのだろうか。綺麗事にして欲しくない。
芸術は爆発なんだよ!(笑) 

「志なきものは文学から去れ」みたいなことを言われたその時の衝撃がいまだに残っている。
それで書けなくなって、本当にそこを出た。
何しろそんな志を持っていなかったもん。
そういうわけでいまだに「〜のために書く」みたいな言葉に過敏なのだ。

4月16日

2007.04.16 14:38|日常のこと
4月病まだまだ続行中。
冬は元気で、春になると休眠状態に入る自分ってどうかと思う。
だらり〜んと過ごしている。

地味ながらも仕事はあるので今日も発送やら写真を撮っていた。 しっかし今回の商品撮影には困った・・・。

指輪の装着イメージ写真ってどうやって撮るのー!?
指輪をアップしたのはもうかなり前のことで、その時の商品ページはすでに削除している。
前回もめっちゃ困ったので、それ以来指輪は扱ってなかったのだ。

モデルさんのように手指が綺麗なら別だけど、指輪を着けてそのままババーンと手だけ写したら、いかにも「オバチャンの手です!」って感じでものすごくカッコ悪い。
だいたいこれじゃ全然イメージ写真ちゃうやんか。。イメージ悪すぎ。載せない方がよほどマシ。
でもなあ、ブレスレットやペンダントの装着写真は載せているのに、指輪だけ載せないってのも変だし。

グラフィックデザイナーの主人は(名前だけならスマートそうな職業だけど、単に納期に追われるMac使いのサラリーマン)カタログ製作の商品撮影に立ち会うことがあって、モデルさんに来てもらうこともある。
やっぱりモデルさんて何を着ても「何かが違う!!」んだそうだ。
何がどう違うのかそこらへんのところハッキリしてもらいたいもんだけど、人の視覚というのは「言葉では言えないけど何かが違う」というわずかなことでも大きな差としてキャッチするらしい。
同じ服を着ても、姿勢の良さひとつ、シワの入り方ひとつで、見栄えがぐんと違ったりするんだろう。
印刷物を作っていると「どの書体を使うか」みたいなことで全体のイメージがガラリと変わる瞬間があるけれど、物を売るにしても表現にしても、まずはイメージから・・みたいなことはやっぱりあると思う。

ああああ、何書いてんだ。 話が違う方向へ。

それで今日はいろいろポーズをして撮ってみた。
なんとか良いイメージに写らないかなあ、と。

でも、ひとりでカメラに向かってポーズしていたら心底アホらしくなってきた(笑
本気で「こんな仕事辞めたい」と思ってしまった。
と言うかテキトーに済ませばいいものを、気のすむやり方を変えられない自分がイヤ。
どれも一点物だから丁寧にやっていると時間が異常にかかってしまう。
こんなやり方をいつまでも続けていられない。
どこでこのやり方を変えるか、この自分をどう納得させるか、そんなことを今日も考えた。