パステル・ジョナサン

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10月12日

10月になったので、来年のカレンダーや手帳、家計簿なんかを少しずつ揃えている。

一昨年の暮れにちょっとバタバタした時、いつもならとっくに揃えているはずのこれらのアイテムを、うっかりと買い忘れたまま年を越してしまったことがある。
私はかなり面倒くさがりなので、一度気に入ったら次も同じ銘柄を買うほうが確実だし手っ取り早いという「手抜き癖」があるのだけど、その年はいよいよ仕方なく2月になってハンズのバーゲンなんかでカレンダーやら手帳を適当に物色して購入した。
(私は気に入った場所やお店にずっと通ったり、同じTシャツを色違いで何枚か揃えたりして、人から言わせると「つまらないタイプ」だそうだ。だってそのほうが手間が省けて楽なんだもの〜)
好みでもないカレンダーや手帳って、なんだかしっくりこない。
イヤだなあ、いつも使ってるのがいいなあ、でもこういう類の商品は売り切れた時点でもう次の生産はないし・・とか思っていたら、その年は実家は火事になるし周囲の人間関係に振り回されるしで、なんだかどうにもツキがなく、縁起をかつぐわけじゃないけれど、来年の準備というものはやっぱり早めにしておくほうがいいような気持ちになってしまった。
おまけにその時は年末恒例のライブにも行けなかったうえに、ちょっとした騒動があって怒りが何日も静まらないようなカリカリしたお正月を過ごしていたので、そのこともちょっと引っかかっていた。
なので去年の暮れは早めに手帳類を揃え、きっちりライブに行って楽しいお正月を過ごすように心がけた。

気のせいかも知れないけれど、年末年始をどんな気持ちで過ごすかで、その一年のカラーとか方向性とか、なんとなく決まってしまうってことがあるんじゃないだろうか。ないかな。
これは前に書いたかも知れないけれど、とあるサイトのオーナーさんが、お正月には(大阪なので)吉本とか落語とか、とにかく何でもいいから大笑い出来るものを見に行くのだと書いていた。
気分良く大笑い出来た年はやっぱり一年通して良い年だったような気がするから不思議だ、と。
今年も抜かりなく、ネットやお店で目当ての手帳と家計簿を手に入れることが出来た。ホッ。
ただ、気に入っている卓上カレンダーだけが見つからなくて、似たようなフルーツと花の絵が入っているものをとりあえずキープした。
可愛いのはすぐに売り切れてしまうことが多いのだ!
(卓上カレンダーなんて数百円程度のものなのに気合い入りすぎな自分)
毎年必ず使う掛け軸みたいな布製のカレンダーは来月になったら紀伊国屋書店で入手する予定。
12月の永ちゃんと葉加瀬太郎のライブのチケットも手に入れた。
よしよし、準備万端、これで年が越せるな。
あとは仕事だ(笑)
11月中には来年使うものを揃えて、来年はどんな年にしようかなあと頭の隅っこで想像するのがちょっとだけ好きだ。

12月はいつもあっという間に過ぎてしまうし、年が明けると現実がやって来て、もう夢見ているヒマがない。
<何が書きたかったかと言うと、実は去年から使っている佐々木かをりさんの「タイムデザイナー」という手帳の素晴らしさを書きたかったのだけど、毎度のように書いてるうちに話がどんどん違う方へ…>
毎日使うような小物って、高いとか安いとかブランドとか関係なく、好きだなあと感じるものを丁寧に楽しく選ぶことがやっぱり良いことなのだろうと思う。
丁寧に選ぶと時間がかかってしまうけど、満足感がある。
他人から見てどうだろうと、自分のお気に入りにはやっぱりパワーがある。
早いことは良いことだという時代になってしまって、私もそれについつい乗っかったりして雑な買い物をすることもあるけれど。
それでも不思議なことに、じっくり丁寧に選んだ(私の店の)商品は、たいてい丁寧に扱ってくれるお客さんに出会っていく。
申し訳ないけど数を合わせるように慌てて仕入れたものは、やはりそれなりのお客さんに。
こういう一致がどんな仕組みで起きるのかは分からないけれど、いつも不思議に思うことだ。
ネットの世界で、特定できない大勢の方に向かい仕事させてもらっていると、奇妙な偶然とか繋がりの面白い現象を経験することがたまにある。
物というのは自分が選んでいるようで実は自分が物から選ばれている、というような話も聞いたことがある。
お金にまかせて良いものを買えばそれが似合うような自分になれるというわけではないらしい。
前に書いた私の着物の話も結局そうなのかも知れない。
私も姉も自分で選んでいない好きでもない着物だから、結局のところそれを着るような場面には出会わなかった。
だとしたら、何かを一生懸命好きでいるなら、いつかきっと「それ」は自分を選んでくれる日が来るかも知れない、とも思ったりしている。
どんな遠くにあっても、好きでいることだけが、最も近道を歩くことになるかも知れない。
こういう話、言葉遊びみたいで、ちっとも現実味のある話じゃないけれど。

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10月9日

『ブラックブック』
ツタヤでレンタル。
あらすじをAmazonから引用:
『1944年、第二次世界大戦時ナチス・ドイツ占領下のオランダ。若く美しいユダヤ人歌手ラヘルは、ドイツ軍から解放されたオランダ南部へ家族とともに逃げようとするが、何者かの裏切りによって家族をナチスに殺されてしまう。復讐のために名前をエリスと変え、ブルネットの髪をブロンドに染め、レジスタンスに身を投じる。そしてナチス内部の情報を探るためナチス将校ムンツェに近づき、彼の愛人となることに成功するが…。
果たして真の裏切り者は誰なのか?すべての鍵を握る“ブラックブック”とは? 』

映画の感想を書くの久しぶりの気がする。
なかなかマメに書く時間がない。まだ他にも観た気がするのにすでに忘却の彼方へ…。
忘れっぽすぎる。
普段は旧作扱いになるまで待つんだけど、『ブラックブック』はロードショーしている時から観たかったので、我慢できずにすぐにレンタルした。
やっぱり新作借りると高いなあ…。貯まっているポイントを使って借りた。
分かりやすい映画も多い中で、こういう手の込んだストーリーってのは久々に嬉しかった。だからってけして複雑だったり分かりにくいわけではないが。
ちょっとしたシーンや小道具、セリフが後から効いてくるので、ぼーっと観てるとどんどん置いて行かれるハメに…。ラストまで続くその緊張感が良い。
戦時中の話なので人間の弱さや脆さ醜さなどがグロに描かれているけれど、あまり気にならなかったのは、ヒロインのクールな美貌と二転三転(いや四転くらい)する内容に引き込まれたせいだと思う。
また観たい。

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10月8日

ニュースで、レーサーの阿部典史(あべのりふみ)くんの事故死を知った。
サーキットでなく公道での事故だ。
10年くらい前に日本GPで優勝した時、ピットに戻るなりわんわん大号泣していた姿が忘れられない。
今年のGPでも解説者として出ていて、つい2週間前も声を聞いたばかりだったのだけど・・。

彼のすっごいファンではなかったものの、世界最高峰の二輪レースで活躍する日本人ライダーは印象深いし、やっぱり応援してしまう。
阿部くんの走りは本当に格好良かった。
時速300キロで駆け抜けるバイクはすごい。
鈴鹿の日本GPを見に行った時は圧倒された。

話は違うけれど、私は車の免許は持っているがオートバイの免許は持っていない。
(よくレディースと間違われる・笑)
それでもずっとバイクに乗りたくて仕方なかった。
救急の整形外科病院でヘルパーをしていた母は交通事故の悲惨さをよく知っていて、バイクだけは絶対に乗るなと私によく言った。
それで免許をとらなかった。私が母の忠告を素直に聞いた数少ないことのひとつだ。
けれどもなぜだか不思議と、バイク乗りと音楽をやっている人には縁があって(自分はそのどちらもしないのに)、結局「バイクがあればそれでいい」というほどバイク好きなダンナと縁して結婚した。

昔、20歳くらいの頃だったか、勤めていた会社の営業さんからある日突然、『五木寛之の「冬のひまわり」って読んだ?あの主人公がYさんのイメージと重なるんだよね』と言われたことがある。
佐藤さんというこの営業さんは同期入社の男性ではあったけれど、仕事絡みでちょっと話をする程度で特に交流もないし、私を好いてくれてたわけでもないので、かなり奇妙に思ってその本をさっそく読んでみた。
主人公の麻子って女性はいかにも古風な女性で、私とは正反対なイメージだと思うのに、その内容はバイク絡みの恋愛話で、なんとそのクライマックスは鈴鹿サーキットの8耐のシーンであった。
今もたまに、そのことを思い出す。
私のダンナは毎日バイクに乗って通勤しているので、事故に合う危険が高い。
(好きなんだからやめられないんだろうな〜)
もしもダンナが事故で死んだりとか、ひとりになったとしたら、私もいつか「麻子」のようにサーキットへ足を運ぶようになるのではないだろうか。
そう考えると佐藤さんが言ってくれたことが、予言のような気がしてドキドキする。
「麻子」はたしか免許を持っていなかった。
バイクに乗るわけでも特別好きなわけでもなかった。
古風でおとなしい性格なのに、あのサーキットの熱の中に身を置くのがなぜか好きだったのだ。

あれ?阿部くんの話から飛んで、なんだか昔話を書いてしまった。。
別ブログに載せている今日の夕焼け写真は、彼に捧げたい。

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10月6日

お天気の良い休日。
兵庫県の須磨〜垂水〜舞子に至る海岸を姉と歩いてきた。
たまに砂浜を歩きたくなると出掛けるコースだ。

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港の近くに住んでいるけど、時々広い本物の海が見たくなる。
裸足になって貝殻を拾いながら砂浜を歩いたり、うちあがっている軟体な生物(ウミウシっぽい)やタコと遊んだり、おじさん達の釣った魚を見せてもらったり。すごい安い遊びだ。
大阪から来たというフレンドリーな男子高校生3人組に写真を撮って欲しいと頼まれて、一緒に撮りませんかなどと言われて照れてみたり。
まだまだ暑くて、秋というにはあまりに中途半端で、水着で寝転がっている若者とか、水遊びする子どもたちとか、文庫を読みつつパンをかじってる女の子とか、ゴムボートやらカヌーを漕いでる人とか、不思議な景色の10月の海だ。
海水浴の時期、ここを埋め尽くす恋人達がいなくなると、浜辺はこんなふうにゆっくりしている。
姉に撮ってもらった写真はどれもピンボケだった。なんとなくそれもいいかなと思ってしまう。

途中にあるアウトレットモールに寄ってお昼を食べ、そのあともひたすら海岸を歩く。
明石海峡大橋の橋台につけられているエレベーターで展望台に上がってその海面からの高さにおののきながらコーヒーを飲んだりした。
日焼け止めクリームをでたらめに塗っていたら、腕がまだらに焼けてしまってショックだ。

海はやっぱりいい。出来るなら海の近くに住みたい。
毎日海と空を見て暮らしたい。

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10月5日

CSSってよく知らないくせに、いろいろ触ってどうなってるのか試すのが好きだ。
基本的にオタクな性格。
小さい時は、時計やオルゴールを分解して元に戻せなくなったタイプだ。
元のコードが分からなくなって、秋の素材でラインを作って誤魔化してみた。
でも殺風景だなあ、なんかつまんない。
つまんない、つまんない、つまんない。
実は仕事に煮詰まっている。
本当はブログのスキンなんていじってる場合じゃないんだけど。
小さなプリンの容器で暮らすイモ虫をじーーっと覗いてみる。
一匹ずつ、白い陶器のカップに入れている。
そう言えばこの「見た目だけ高級そうなプリン」は、見た目ほど美味しくなかったっけ。
直径7センチのこんな小さなプリンの容器が今はイモ虫達の全世界、その人生の全てだったりするんだな。
大きな葉っぱを抱え込み一心不乱に囓っている。私は絶対、どんな虫も馬鹿に出来ない。
いつでも前向きにとか、優しい気持ちで、なんて有り得ない話だと思う。
優しさについて考えたり語ったりすることで自分があたかも優しい人間のように思い込むのは、感謝するということを「ありがとう」を言うことだと勘違いするのと同じくらいタチが悪い。
なんだか何かに(というか自分に)騙されてるような気になってきた。
私はひとりで仕事をしているので、たいてい自分の中に敵がいる。

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