ごあいさつ

ジャスパー

ジャスパー

日本パステルホープアート協会公認 正インストラクター。
協会認定指定校「ジョナサン」を運営しています。
(活動はゆる〜くやっています)
ほとんどが独り言のブログです。

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4月28日

2009.04.28 05:46|日常のこと
世間はすでにGWなんですね。いったい何連休??
今日買い物に行くために電車に乗ったら、家族連れとかUSJのバッグを抱えた人がたくさんいました。
学校はどうなってんだろ? 親に合わせて学校休ませてるのかしらん。

この時世にありがたいことなのかも知れませんが、ダンナの休みはカレンダー通りのうえ今週は土曜日も出勤であります。
私はダンナの休みは長いほうが嬉しいので、つまらんです。

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ところで、木星ー海王星ーカイロンがきっかり合になるのって5月25日〜28日頃なんですね。。
もちろん今の時点でもかなり接近しているので、すでにその影響下には入っているとは思いますが。
で、この3つの合は水瓶座の26度で起きるため、私自身の出生時の水星(水瓶座27度)に重なると同時に、太陽(魚座1度)ともゆる〜く合になるのだなあと、たった今気がつきました!
ただでも破綻しがちな思考なのに、そこへ海王星がかぶるとさらに回路が逝ってしまいそうな気配がします(爆

この3つの星の会合が自分のどのハウスで起きるかも重要な気がしますが(私の場合10ハウス)私自身の太陽はこの先数年に渡って海王星の影響を受けることになるのでしょうから(海王星は進むのが遅いです)、うーん、どんな感じになるのだろう?とちょっと悩んでみましたが、分からないので5秒で諦めました(-_-;)

本棚にしまう前に/第四夜

2009.04.14 01:55|本棚
C.G.ユング「アイオーン」より 第5章 キリスト、自己の象徴

キリストという伝統的な形姿に照応する心理的な現われが自己(ゼルプスト)であるとするならば、反キリストに相当するのは自己の影である。つまり、全体的人間の闇の半分にあたるが、この半分に対しわれわれがあまりに楽天的にすぎる評価を下すのは禁物である。われわれの経験から判断できるかぎりでは、光と影は人間の本性の中ではきわめて均等に配分されているように思われ、したがって心全体は少なくとも、どちらかといえば薄暗い印象を与えるわけである、
心理学でいう自己の概念、これは一つには全的人間という認識から導き出されたものであり、そのほかには無意識から産み出されるものの中に自然発生的に、内面的な二律背反に結ばれた元型的な四者性として現れてくるのであるが、その自己の概念は、明るい形姿の一部である影を無視することはできない。この影がないと明るい形姿は体を失い、それとともに人間であることも失ってしまうからである。光と影は、経験的な自己のなかでいわば逆説的な一体性をなしている。これに対してキリスト教の考え方においては、この元型は統一することのできない二つの部分に絶望的に分裂してしまっており、最終的には形而上的な対立に至りついてしまう。すなわち、天の王国と劫罰の火の燃えさかる世界という究極的分裂である。

4月10日

2009.04.10 06:16|日常のこと
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はう〜。
頭痛のしていた数日間、体を動かすのはごくわずかにしてひたすら本など読んで家でじっとしていたら、元気が有り余って今夜は眠れません。

寝ても寝ても眠い、いくらでも寝れる、という人も世の中にはいるのに・・。
なんかすっかり貧乏性だなあ自分、と思います。
体を使わないとあんまり眠くなりません。

港にある桜並木はまだ散り始めることなく満開です。

すぐそばが岸壁なので風がとても強く、そのせいかここの桜はやたらと風に強いのであります。枝がわっさわっさ揺れているのにびくともしません。
見ているとちょっと笑ってしまうくらいです。


ところで先日、とある本を読んでいて思い出したことがありました。

昔やっていたメーリングリストのことです。
2001年の秋から、小さいながらもメーリングリストを主催しておりました。

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そのメーリングリストでは私が決めさせてもらったルールがあり、それは、「独り言・独白調メール歓迎。レスなしで進行」といったことで、つまりは「書き捨てでヨロシクね」ということでした。

なので「メールを書いても誰からもレスがなかった」ということがしょっちゅうあって、投稿のペースも誰かがポツリと書けば他の誰かがまったく違う話題をポツリと書く、といった感じで、特別な自己紹介もなくどこの誰かもわからなくって、でもそれなりに楽しいMLだったのではないかなあと思います。
(当時からお世話になっているRYOさんは、いつもさりげなくフォローをしてくれた恩人であります)

「集団の中の個」というものをなぜか私はずっと意識しており、それはSNSとはまったく逆のことなのだろうと思いますが、ひとつの集団の中で、共通の話題も趣味もなくお互いのプロフィールも知らず、レスで盛り上がったりしなくても、考え方が良いとか悪いとか文章が上手いとか下手とかそんなこと関係なしに、純粋な個性だけで人は繋がれないだろうかというのが常に私の中で理想としてありました。理想というと大袈裟ですが、それは今もあります。
私がミクシィなどを嫌ったり、自分のブログにコメント欄を設けるのが苦手なのはそのせいでもあります。

そのメーリングリストを3年(かな?4年かな?)ほどでやめて何年か経って、ふたたび立ち上げたことがあります。
お願いしたルールとしては同じように「独り言・独白調メール歓迎。レスなしで進行」ということと、当時ブログで流行っていた「○○バトンみたいなのは一切ナシで」、「自分のHPやブログへのリンクはご遠慮下さい」というものでした。

最初のメーリングリストを作ったのは2001年だったのでまだまだMLは盛んだったのですが、それから時代はぐんと変わり、新しいMLではこのルールはまったく通用しませんでした。

「私が書いたとたんメールの流れが止まっています。迷惑かけてるんならヤメます!」と突如キレる人がいたり、「○○さんと□□さんはミクシィ仲間なんですか?誰と誰が友達ですか?」と質問が来たり、「自分のブログくらい紹介しても良いのでは? でないとみんなのプロフィールを知らないから何を書いていいのかわからない」などなど・・・(T_T)
時代の流れというのは凄いもんだと実感しました。

以前なら、届くメールの文面からその人の個性を味わったり、この人はどんな人だろう?と想像したり、時間をかけて交流したものですが、先にプロフィールを確認しないとメールが書けないと言われた日にゃ(勝手だけど私の目指していた)メーリングリストの意味がありません。
なのでここは結局すぐに閉鎖させてもらいました。

私が「レスなしML」にこだわっていた理由は、言い替えれば「光と影をつくらない」ということでありました。

レスをもらうための文章にならないこと。
人の目を意識した文章を「作文」しないこと。
誰かの書いていることが「自分が気に入る・気に入らない」という判断はしないこと。
仲間を作ろうとするんじゃなくて、仲間でいようとすること。

まるで深夜の猫の集会みたいにお互いに干渉せずそれでも一つの場所に集まっているような、そんなネットの繋がり方、人との繋がり方というのに憧れがありました。
(単に自分がそういう性質や好みだからという趣味の範囲の問題だと思いますが・笑)

つまり時代はどんどん変わって行くのだなあ・・といった程度の話なのですが、ふと当時のことを思い出したので書いてみました。

4月8日

2009.04.08 06:38|日常のこと
今日の午後くらいから頭痛がちょっとマシに・・・ほっ。
でも、予定していた乳腺科の診察は来週の水曜日となってしまいました。

お尻が痛いせいで妙な姿勢をしたり、ヘンな歩き方をしていたため肩がひどくこってしまい、どうやらその肩こりが原因の頭痛だったようです。
私は肩こり知らずの体なのですが、たまにこると、後頭部に鋭いものが突き刺さるような頭痛になることがあります。
(寝過ぎてリラックスしすぎた時なんかは、脈と連動したザクザクとした痛みの頭痛になります…)
今回の頭痛は(私の場合)市販の鎮痛剤は効かないので、痛さに負けて3日ほど家で本などを読みつつじっとしてました。

で、それが良かったのか、あれほど痛かったお尻がぐんとラクに・・。
やっぱり、安静にしておくって大事なんですね・・。

そういうわけでやっと通常モード。元気になりました!ありがとうございます〜