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ジャスパー

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日本パステルホープアート協会公認 正インストラクター。
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10月12日

2007.10.12 18:53|日常のこと
10月になったので、来年のカレンダーや手帳、家計簿なんかを少しずつ揃えている。

一昨年の暮れにちょっとバタバタした時、いつもならとっくに揃えているはずのこれらのアイテムを、うっかりと買い忘れたまま年を越してしまったことがある。
私はかなり面倒くさがりなので、一度気に入ったら次も同じ銘柄を買うほうが確実だし手っ取り早いという「手抜き癖」があるのだけど、その年はいよいよ仕方なく2月になってハンズのバーゲンなんかでカレンダーやら手帳を適当に物色して購入した。
(私は気に入った場所やお店にずっと通ったり、同じTシャツを色違いで何枚か揃えたりして、人から言わせると「つまらないタイプ」だそうだ。だってそのほうが手間が省けて楽なんだもの〜)
好みでもないカレンダーや手帳って、なんだかしっくりこない。
イヤだなあ、いつも使ってるのがいいなあ、でもこういう類の商品は売り切れた時点でもう次の生産はないし・・とか思っていたら、その年は実家は火事になるし周囲の人間関係に振り回されるしで、なんだかどうにもツキがなく、縁起をかつぐわけじゃないけれど、来年の準備というものはやっぱり早めにしておくほうがいいような気持ちになってしまった。
おまけにその時は年末恒例のライブにも行けなかったうえに、ちょっとした騒動があって怒りが何日も静まらないようなカリカリしたお正月を過ごしていたので、そのこともちょっと引っかかっていた。
なので去年の暮れは早めに手帳類を揃え、きっちりライブに行って楽しいお正月を過ごすように心がけた。

気のせいかも知れないけれど、年末年始をどんな気持ちで過ごすかで、その一年のカラーとか方向性とか、なんとなく決まってしまうってことがあるんじゃないだろうか。ないかな。
これは前に書いたかも知れないけれど、とあるサイトのオーナーさんが、お正月には(大阪なので)吉本とか落語とか、とにかく何でもいいから大笑い出来るものを見に行くのだと書いていた。
気分良く大笑い出来た年はやっぱり一年通して良い年だったような気がするから不思議だ、と。
今年も抜かりなく、ネットやお店で目当ての手帳と家計簿を手に入れることが出来た。ホッ。
ただ、気に入っている卓上カレンダーだけが見つからなくて、似たようなフルーツと花の絵が入っているものをとりあえずキープした。
可愛いのはすぐに売り切れてしまうことが多いのだ!
(卓上カレンダーなんて数百円程度のものなのに気合い入りすぎな自分)
毎年必ず使う掛け軸みたいな布製のカレンダーは来月になったら紀伊国屋書店で入手する予定。
12月の永ちゃんと葉加瀬太郎のライブのチケットも手に入れた。
よしよし、準備万端、これで年が越せるな。
あとは仕事だ(笑)
11月中には来年使うものを揃えて、来年はどんな年にしようかなあと頭の隅っこで想像するのがちょっとだけ好きだ。

12月はいつもあっという間に過ぎてしまうし、年が明けると現実がやって来て、もう夢見ているヒマがない。
<何が書きたかったかと言うと、実は去年から使っている佐々木かをりさんの「タイムデザイナー」という手帳の素晴らしさを書きたかったのだけど、毎度のように書いてるうちに話がどんどん違う方へ…>
毎日使うような小物って、高いとか安いとかブランドとか関係なく、好きだなあと感じるものを丁寧に楽しく選ぶことがやっぱり良いことなのだろうと思う。
丁寧に選ぶと時間がかかってしまうけど、満足感がある。
他人から見てどうだろうと、自分のお気に入りにはやっぱりパワーがある。
早いことは良いことだという時代になってしまって、私もそれについつい乗っかったりして雑な買い物をすることもあるけれど。
それでも不思議なことに、じっくり丁寧に選んだ(私の店の)商品は、たいてい丁寧に扱ってくれるお客さんに出会っていく。
申し訳ないけど数を合わせるように慌てて仕入れたものは、やはりそれなりのお客さんに。
こういう一致がどんな仕組みで起きるのかは分からないけれど、いつも不思議に思うことだ。
ネットの世界で、特定できない大勢の方に向かい仕事させてもらっていると、奇妙な偶然とか繋がりの面白い現象を経験することがたまにある。
物というのは自分が選んでいるようで実は自分が物から選ばれている、というような話も聞いたことがある。
お金にまかせて良いものを買えばそれが似合うような自分になれるというわけではないらしい。
前に書いた私の着物の話も結局そうなのかも知れない。
私も姉も自分で選んでいない好きでもない着物だから、結局のところそれを着るような場面には出会わなかった。
だとしたら、何かを一生懸命好きでいるなら、いつかきっと「それ」は自分を選んでくれる日が来るかも知れない、とも思ったりしている。
どんな遠くにあっても、好きでいることだけが、最も近道を歩くことになるかも知れない。
こういう話、言葉遊びみたいで、ちっとも現実味のある話じゃないけれど。

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