ごあいさつ

ジャスパー

ジャスパー

日本パステルホープアート協会公認 正インストラクター。
協会認定指定校「ジョナサン」を運営しています。
(活動はゆる〜くやっています)
ほとんどが独り言のブログです。

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4月17日

2007.04.17 14:20|日常のこと
頭痛持ちと言えるほど深刻じゃないけれど、たまに爆発的な偏頭痛になる。
少し動くだけで、ザクザク、ガンガンと痛むやつ。
こうなると気持ち悪くて吐き気にまで達し、おかげで今日は夕方までひたすらじっとしていた。歩くのもソ〜ッと歩く感じ。
一年に一度あるかないかの重症だけど、なんでこんなになるんだろう? 昨日特別変わったこともしていないし、普段と同じものを食べているんだけど。毎回不思議に思う。

****ここから長文・毒舌(?)なのでご注意ください*****

よし、今日はこれを書こう! と思いながら日記を書くことがあまりない。
なんとなく時間がある時に、DreamweaverというHP用ソフトを立ち上げて、ここのHPのフォルダを開き、さらに日記のフォルダを開いて、今日の分を書き込むためのテーブルを作り、枠に色をつけて、それからその瞬間に思い浮かんだことを書く。
今日一日楽しい気分で過ごしていても、その時点で切ない気分なら切ないものを書くだろうし、その逆もある。
感情って、空の雲のようにどんどん形を変えていくものだと思うけど、一瞬だけカメラに収めたらこの形でした、みたいなことを書いてる。
だからネットで書いているほとんどのことは、本当は「私の今日」ではないし、思考した結果でもない。

そんなたまたまの瞬間芸なのに、それがどんどん溜まることがいやで、以前は「書き捨て日記」というのをやっていた。
今日書いた日記の上に、次の日上書きして更新するというやつ。過去ログを残さない書き方。
なんちゅーことするねんと友達に言われたけれど、昨日の新聞を読む人がいないように、私にとって昨日書いたものはあまり必要のないものだし、作品でもないし、自分の書くものを立派なものに思っていないので、どんどん書き捨てていた。

ネットのように人の眼に触れるところで、自分のテキトーに書いたものがたまっていくというのは良いことだろうか? とふと思う。
うん、確かに良いこともある。私はそれを感じたことも、手にとってその感触の良さを味わったこともある。
でも自分にとってそれはさほど大した問題じゃないなと思ったりする。
文章として立たせようとすると、読む人が分かるように説明書かなきゃダメなんだけど、最近になってそういうようなことが気になって仕方ない。

最近、心理的にそこに至った事情がちょっとある。
ネットの中のことだけど、実はここ1ヶ月くらいの間に一つの人間関係が破綻した。
どうしてその人は自分と私との違いというか、「差」を知ろうとしてくれなかったのか、 いや、少し想像してくれるだけでよかったのに。
そのことをちょっと書こうと思う。長くなるけれど。

たとえば私はミクシィが苦手だとハッキリ書いている。
なのにある彼女と、ミクシィをやればこんな良いことがあるとか、ミクシィには○○さんも○○さんもいるのよとか、自分で書いたミクシィの記事を送ってくるとか、そんなやりとりが去年の夏からずっと続いていた。
彼女はネットに入る時間が多いこととマメな人だったせいもあって、一年間に来たメールを数えてみたらなんと109通もあり(3日に1回の割合…)、返事を出さないでいるとまた次が来てしまうという状態だった。
書いてあることはほとんどがネットの話。ネット運営のこととかネットの意義とかネットで書くとはどういうことかとか。
昨年の夏から続いていたミクシィネタに、今年2月の終わり、私はついに切れてしまった。
「ミクシィでAさんを見つけましたよ。日記は書いていないけどブログをリンクしているみたい。そのブログのアドレスを教えます」

そのAさんと私は、さほど交流はないけれど、私はAさんの書く文章が大好きでファンなのだった。
そのことを彼女も知っている。
彼女はAさんとは面識もないのにわざわざ検索をかけてミクシィで見つけだし、私に報告して来たのだった。
親切なのだろうと思うけど、私はそれが誘い水のように感じて非常にカンに触った。。
頼むからこれ以上ミクシィネタはやめてくれ、私を説得しないでくれ、疲れ切ってはそう思った。

その数日前、実はそのAさんからメールをもらっていた。私の誕生日のお祝いのメールだった。
彼はその中で(Aさんは男性)そのブログのことも、自分がミクシィをやっていることにも触れていない。
なのによそから聞いてしまったら困るじゃないか。私は性格的にそういうことがとても嫌いなのだった。
あの人からこの人の話を聞いて、でもあの人には私は知らないことになっていて、そのことをこの人は知っていて・・・とか、そういうややこしいことがとても嫌いだ。
本人が私に言わないことは知らないでいいと思う。

彼女は、女性特有と言えばいいのか、私と彼女の間で起きること以外の、関係のない人の話を持ち込みすぎる。
ネットとは言っても長い付き合いだし友達なんだから、彼女の愚痴ならナンボでも喜んで聞けるし、身の回りで起こることなら知りたい。
でも彼女はどんどん、ネットに書くことが生きることかのように肥大していく。
自分の知っている誰かと誰かを結びつけるために奔走し、それが人と人との繋がりと信じ、それゆえに話し過ぎ、アクセス解析を毎日チェックして誰が来ているか調べ、ひとりでたくさんのブログを持ち、コメントがあるかないかで悩み迷って・・・。
私にとって彼女は憧れの人で、ネットの中の静かな森のように拠り所にしていた人だったのだけど、なぜかミクシィに入ってから関係性が変わっていった。
何がどう変わったのかわからない。
どちらが正しいとか悪いとかでもないような気もする。
彼女は「ジャスパーさんにも知ってほしいからミクシィのことを報告していた」と言う。
確かにそれはミクシィ嫌いの私に「ミクシィって楽しいよ」と伝えようとした彼女の優しさであることは十分分かっている。
私がそれを消化出来なかったというのが事実だ。
私がミクシィを嫌いなことは何度も伝えているのだから、そのことを少し気にとめてくれれば、メールの間隔があんなに頻繁でなければ、関係の再構築というのはあったのだと思う。

ある時「自分のアクセス解析に頻繁にログが残っているけれどまだ誰か判明しない人がいる(つまり一度もコメントを残していないので誰か分からない)、そういう人のために日記を書けなくなった。だからこれからはミクシィで日記を書くの」と彼女が言ったことがある。
その時私は偉そうにこう言った。
「コメント残さないと読んじゃダメなんですか。黙って何も言わずに読んでくれている人のほうが大切なんじゃないですか」
コメントに執着する彼女に幻滅し、それくらいから何かが変わっていったのだと思う。

問題はそれ以降、ネットにこうして日記を書くことが時々面倒になってきているということなのだった。
私にとって書くというのは簡単なことで、馴染んだありふれたことなんだけど、時々彼女のよく言っていた「なんのために書くのか」「ネットで書くこととはどういうことか」「誰かのために書かなければ、書き続けなければ」みたいな言葉がよみがえってきて仕方ない。
ネットで書くことは別にたいそうなことじゃなく、そこに「そういう道具」があるから私は書いてるだけなんだけど、ネットがなけりゃ紙に書くし、ネットがない時代はそうしてきたし、ネットで書くことは別に特別なことでもなんでもないことだと私自身は思う。
書きたいから書く、それが意味のすべてだ。
「ミクシィでしか出会えない人がいるの」と彼女は言っていたが、無理して出会う必要を私は感じない、だからやらない、それだけだ。

もう彼女のHP関係は一切見ていないし、メールも拒否設定にしている。
嫌いになったわけじゃなく、「ネットに関わる話、ネットの中の人の話」のやりとりに疲れてしまってもうどうしようもない。
それまでは、書くこと(というかネットに対する思い入れの違い)については、私は彼女と自分の差を認識して触れないようにしていたのだけど、もうそこのラインを超えてどんどん話が進んでしまったので、私自身が飲み込まれてしまっている状態だ。

普通に歩いている時に、「歩くとはどういうことか?何のために歩くのか? それは、右足を出して重心をうつして、それから左足をつま先から出して・・・」みたいなことを言われると歩くのがぎこちなくなるみたいに、彼女の言葉はこれまでも何度も私を混乱させた。
(これは私の問題)

この話は書かないでいたのだけど、思い切って書いてみた。
なぜかと言うと混乱から抜け出せないでいるから(疲)
2月の終わりから3月にかけては、完全に凹んでいた。
いっそネットから撤退したらスッキリするだろうと思ったくらいだ。
つうか、今もどこか思っている。
普通に書こうとしていても、誰かのために(感動的なこととか!)書かなきゃいけないような気になってしまう(笑
ああああもー、こういうのめんどくせぇぇー。
洗いざらい書いたら楽になるかと思いつつ書いてみたら、やっぱり楽になったのでとりあえずアップしてみる。

この先はまともな日記ではなく、前にやっていたような、瞬間芸的な日記に変更するかも。

私と古くから付き合いのある人はここに書いた「彼女」が誰か判別がつく人もあるかも知れませんが、これは絶対的に私の性格上の問題なので、お許し下さい。
なぜなら彼女に誘われて楽しくミクシィライフを送っている人はたくさんいるだろうし、私がそれを頑に拒んだことで起きた出来事なので・・。

これは以前やっていたサイトで何度も書いたことだけれど、今から遡ること20年ほど前、文学誌で童話を書いていた時期に一切書けなくなったことがある。
お偉い大学の先生から「何のために童話書いてるのか」と質問されてからだ。
他の人が口々に「21世紀を担う子どもたちに夢を与えるためです」「子ども達に勇気と感動を与えるためです」と発言していく中、私はフリーズ状態になった。
何かのために・・・ということが必要なの? 理由がなきゃ書いちゃいけないの? 書くってそんな立派なことなの?

以来「〜のために書いている」という考え方に猛烈な反発心が生まれた。
自分が好きでやっているのだからすべてを自分の責任にしろよ、誰かのためにって誰かのせいにするなよ、と思ってしまう。
書きたいから書いてるんだろ?
文学とか文章を書くってことは特別で高尚なものだとでも言いたいのだろうか。綺麗事にして欲しくない。
芸術は爆発なんだよ!(笑) 

「志なきものは文学から去れ」みたいなことを言われたその時の衝撃がいまだに残っている。
それで書けなくなって、本当にそこを出た。
何しろそんな志を持っていなかったもん。
そういうわけでいまだに「〜のために書く」みたいな言葉に過敏なのだ。

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