パステル・ジョナサン

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11月25日

昨日は仕事でミスをするし、家事の大事なことも忘れているし、厄日みたいな一日だった。
一年に一回くらい、ミスをした上にヘンな偶然が重なって「なんで今日に限ってこんなことがっ!」って思う日があるよなあ。
なんで重なるんだろう、不思議だ。

一転して今日は、売れ残ってもう諦めていた高額商品の注文が突然入ったり、小売り業者専用のバーゲンでの仕入れも順調でひと安心。
こういうラッキーもいつも不思議だ。
昔からどういうわけか、悪い偶然が重なって落ち込むようなことがあった後、不思議とすぐに良い偶然に恵まれて助けられることが多い。
先日もお客さんからブッ飛んだワケの分からないメールが来てドッと疲れていたら、次の日に音信不通だったネット友達からメールが届いたんだけど、日常の小さなことから大きなことまでこういうパターンが多いのだ。
遠出した先の田舎道でバイクが壊れて近くの修理屋さんを呼んだら、来てくれた人がウチの近所に昔住んでた人で親切にしてもらったとか、ひどく悲しいことがあってヤケクソで書いた童話がうっかり最優秀賞をとったとか、良いことも悪いことも偶然が重なってしまう。

私は特別ラッキーな星の元に生まれているわけではないので楽な人生を送っているとは思えないけれど、こういう偶然に助けられる時、いつも「こんな私でも守られているのだなあ」と手を合わさずにはいられない。ささやかな小さなラッキーでも、誰かが「頑張れ」と応援してくれているおかげで起きているような気がして仕方がない。
それは神様だとか仏様だとか守護霊様の御利益だと断言したいわけではなくて、もっと身近な家族だったり、友達だったり、もしかしたらこの日記を読んでくれている会ったことことのない誰かの「この人はもうちょっと頑張ったほうがええ
んちゃう?」とか、日常の中で私に声をかけてくれたり私が声をかけたり、そんな目に見えないたくさんの想いに助けられているように思えるのだ。

想いはパワーになり、エネルギーになるのだという。
「一本の木を美しいと思う人がいるから、世界中の木は枯れない。」
アメリカ先住民の世界観にそんな考え方がある。
世界のすべては目に見えないところでお互いに関連し、支え合っている、というような例え話だ。
私も誰かに(何かに)「生かされている」って気がしてならない。
そして同時に自分もまた、他の誰かを(何かを)生かす存在なのだ。これってすごいことだと思う。

だから祈っている。
私の想いがそれを必要とする誰かの力として使ってもらえますように。届きますように。
地球の裏側の、私の知らない誰かの、ひとりの、みんなの。
政治や企業やお金が私達を生かしているわけではなくて、一見自分には関係ないような、大地の中の小さな鉱物やたくさんの生き物、世界中の海と森、今夜どこかの家で歌われる子守歌、綴られるささやかな詩、遠くの寺院で世界平和を祈る人達、そんなパワーを私は毎日少しずつ与えられて生きているのだと思う。
自分ひとりで生きていると思ったら大間違い。
そしてまた私も生きている限り、世界に向かってパワーを生み出す「木を美しいと思う人」のひとりなのだ。
私にも出来ることがある。それを知るのはとっても嬉しい。

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