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パステル・ジョナサン

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本棚にしまう前に/第五夜

トマス・ムーア(ユング派心理療法家)『ヨブ記』序文より

およそ20年にわたって、私は心理療法家として働いてきた。何時間も何時間も自分の苦悩の意味を探す人々と向き合ってきた。彼らはすべての場合において、たいてい同じ問いを抱えていた。なぜ「私」にこんなことが起こっているのだろうか?
彼らは、このひとつの問いに答えることができたら、あたかも魔法をかけられたように、自分の苦悩から完全に救い出されると考えていた。少なくともそれが耐えられるようになると信じていた。どんな苦悩であれ、それが意味を持つならば、耐えることができると彼らは信じていた。
私が過ごしたすべての心理療法の時間は『ヨブ記』の再現に他ならなかった。それは他のプロセスが進行している中で、理由と説明を求めること、そしてその挫折であった。私のクライエントの多くは、私からの答えを望んでいた。私は、不幸を解決してほしいというその願いが、彼らの問題の一部なのだろうかと考えながら向き合ってきた。もっと重要な難題は「いかにして苦悩に意味を見出すか?」ではなく、人生が空虚で、傷だらけで、悲惨なときに、「いかにして生き抜いていくか?」ではないだろうか。
このように問いかけることは、ヨブの窮地に関するありきたりの問題提起(なぜ正しい人物が苦しまなければならないのか?)よりも、収穫が多いと思われる。私たちは、無垢な人物が苦悩する神秘を折りに触れて熟慮しなければならないだろう。しかし、多くの著名な心理学者たちが警告してきたように、「なぜ」という問いは私たちをどこにも導いてくれない。私は、なぜ自分が苦しんでいるのかについての解釈を述べる人々と、心理療法の時間をたくさん重ねてきた。面接時間が終わるときには、その解釈についてずいぶん徹底的に話し合っているが、私たちに残されるのは空虚感や未解決感であった。ときには、翌週になると、人々は新たな熱意や希望と共にまったく新しい解釈を述べることもある。しかし結局、同じような空虚感と不満足感が襲ってくる、歳月を重ねるうちに、私は、人が心理療法に何を期待していようとも、結局は原因探しよりもこの問いに関する思慮を深めていくことこそが、もっとも確実な道であると確信するようになった。
私にとって心理療法が前進し始めるのは、私たち両者が共に最初の問いを忘れるとき、それが忘却の彼方に消えるときである。実際、それはある種の豊かな退行であると認めなければならないだろう。

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